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「大倶利伽羅」

大倶利伽羅はうちの本丸の二振り目の太刀でした(今は打刀ですが)。

いきなり「馴れ合うつもりはない」と非コミュ振りをアピールしますが、使ってみると、意外と非コミュでもないし、言うほど馴れ合わなくもない感じですね。
今じゃ二刀開眼で馴れ合ってますしね。
無愛想だけど、空気も読むし、やることはやるし。
刀帳の伝えるべきことは外さない淡々とした自己紹介も好きです。

そして、真剣必殺。
あの怒れる野生動物みたいな(激怒した猫っぽくもある)立絵、自分の死に場所は自分で決めるという台詞。
全てがとにかくかっこよすぎて、初めて見た時は審神者が重傷って感じでした。
このセリフ聞いてると、大倶利伽羅は人間の感覚に近い感じで生きてるのかなって思います。折れるんじゃなくて、死ぬっていうし。
刀として、という気持ちも当然あると思うけど、それ以上に、人間らしい感情が彼にはあって、それを不要と切り捨てられない。
意外と刀らしさにはこだわらないと思うんですよね。
人の無愛想な態度の割に結構良い奴感がするのは、そういった人間臭さがにじみ出ているからかな。
そして、感情が揺れ動いたりはするけど、あくまで自分という芯はしっかりあって、ぶれない。
比較的若い方なのに(刀の中では)不思議。
実戦刀として戦場でじゃんじゃん使われていて、色んなものを見てきたからですかね。

くりみつ前提だと、大倶利伽羅は燭台切を守れなかった事をすごく後悔していると思うんです。
水戸に行くのを止めることは付喪神では無理だし、関東大震災で燭台切が燃えてしまったことも不可抗力なんですけど、それでも、どうにもできなかった自分を悔やんでそう。
だからこそ、本丸で再会した燭台切を今度は全力で守ろうとする。
今度こそ、大事な人を失わないように。

そんな感じがするせいか、大倶利伽羅は燭台切を救うためなら何でもしそうな感じがします。
でも相手のためにならないことはしなさそうなので、頼まれても一緒に落ちてはあげません。
あくまで相手に手を差し伸べて自分の隣まで引っ張り上げる。
なぜこれほどの安定感を感じるのか分からないけど、大倶利伽羅ならできるし、やってくれそう。
燭台切の闇も払ってくれそう。本人の闇落ちの可能性ゼロ。
それくらい、私の中で勝手に信頼してるのが大倶利伽羅です。

2015/10/4