「歌声」
夕方。明日の遠征の件で審神者の部屋に呼ばれた帰りのことだ。
今回は短刀中心の編成にするという審神者の意向で、六人編成の隊のうち、四人は短刀、後の二人は脇差と打刀だ。
近侍であり、明日遠征に参加する薬研は、明日の隊員達に一声かけてこようと、帰りしな、彼らの自室を回って来た。
後一人。それが終わったら近侍の代理を任せる長谷部に引き継ぎをする。それから部屋に戻って明日の準備をしなくては。
そう考えるとゆっくりしてはいられない。本丸の縁側を歩く薬研藤四郎の足は自然と足早になる。
その足が、ふと止まった。
声が聞こえたのだ。
どこからだろう。微かに聞こえるその声は、独特の抑揚とリズムがあり、歌声のように聞こえる。
誰かが歌でも歌ってるんだな。
特に気にしないで再び歩き出す。早く仕事を終えてしまいたかった。
遠征部隊の隊長にあいさつに行けば、後は引き継ぎをして、それで終わりだ。
そして縁側の角を曲がった時。
薬研は目の前の光景が信じられなかった。
いたのは大倶利伽羅だ。
部屋の前の縁側がお気に入りで、よくそこでくつろいでいるのは知っている。
庭を眺めていたり、本を読んでいたり、昼寝をしていたり。
人が通る場所ではあるが、配置上本丸の端にあり、ここを通る者が少ないこの場所は、馴れ合いを好まない彼にとって、落ち着ける場所なのだろう。
今日もいつものように縁側に腰掛けている。違うことといえば。
「歌なんて歌うんだな」
薬研の言葉に大倶利伽羅は歌うのを止め、驚いたように声のする方を振り向く。
その褐色の顔にみるみる赤みが差していく。
本当に自分が声をかけるまで気付かなかったのだろう。
「いつからそこにいた?」
その声音は平然さを保とうと努力しているものの、動揺が隠しきれていなかった。
そうとう驚いたのだろう。少し悪いことをした。
「ついさっきだぜ。あんた、明日の遠征の隊長だから、一言挨拶しないとなって思ってさ」
「そうか」
顔に、しまった、と書いてあるかのような分かりやすい表情をしている。
大倶利伽羅は感情を露にすることが少ない。
そんな彼の意外な一面、そしてそれを見られた時の慌てた反応。それを薬研は少しおもしろく感じた。
もっと話してみたくなって、大倶利伽羅の隣に腰を下ろす。
「なあ、さっきの歌、悪くなかったぜ。何の歌なんだ」
「前の主の家でよく聴いた歌だ」
簡潔な答えが返って来た。
歌えるということは、それくらいよく聴いて覚えてしまっている歌なのだろう。
薬研の前の主は歌と舞が好きな人だった。それを思い出して、ふと、思いつきでこのような提案をしてしまう。断られても当然だが。
「さっきの歌、もう一回歌ってくんねえかな。俺っちの前の主も歌が好きでさ、あんたの歌声聞いてたらちょっと懐かしくなっちまって」
薬研の依頼に、大倶利伽羅は一瞬ためらいを見せる。
「俺は決して歌は上手くない。見よう見まねだし、あんたの元の主と比べればがっかりする」
「そんなの関係ねえよ。あんたの歌が聴きたいんだ」
そう言葉を重ねられると大倶利伽羅も悪い気はしなかったのだろう。
一瞬息を吸う音がして、始まった。
北国らしい曲だ。
歌詞は素朴で、しかし独特の力強さ、したたかさがある。それが大倶利伽羅の声にのって辺りに響く。
確かに、上手とはいえないかもしれない。
ただ、その歌声にはどこか魅力的な雰囲気があった。落ち着いた低い声。華やかさはないがずっと聴いていたくなる。そんな声だ。
「あんた、なかなか良い声してるじゃねえか。」
薬研が誉めると、恥ずかしさとまんざらでもなさが混ざったような表情で、そうか、と言う。
「よおし!今度の飲み会の時、披露してもらうからな!」
「おい待て。そんなのきいてない」
「あはは、冗談だって」
「…」
からかわれて憮然とした表情の大倶利伽羅から逃げるように立ち上がる。
「でもさっきの歌、あんただけのものにしておくのは惜しいぜ」
「いや、あれは」
「また聴かせてくれよな」
じゃあ、明日の遠征よろしくな、そう言って大倶利伽羅の部屋を後にする。
ずいぶん長居をしてしまった。
まだ、近侍の引継ぎが残っている。長谷部は時間にうるさいから、遅刻した薬研に対して小言を口にするだろう。
しかし。早足で長谷部の部屋に向かいながら薬研は先ほどのことを思い返す。
大倶利伽羅の歌声。それをまた聴きたいと言ったのは世辞ではなかった。
また、部屋に寄ってみるかな。歩きながら、そんなことを考えていた。