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「葉桜の頃」1
 
 

「君がいなくなれば、僕が君の代わりになれるのかなあ?」
そういって笑う光忠の腕が、俺の首筋に伸びる。ゆっくりと、しかし明確な意思をもってこちらに向かってくる二本の腕。
随分と白い腕だ。変なところにほくろがある。肘の関節の少し上。そういえば、肘から上はあんまり見たことがなかった。
まるでスローモーションのように見えるその光景を、俺は他人事のようにただ見ている。
 
 
 
 
1.
光忠がこの家に来たのは、数か月ほど前のことだった。
主の仕える主君から賜った、随分と価値のある刀だと聞き、最初は他の刀たちも身構えた。
現れた刀は確かに美しく、見るものを圧倒させたが、しかし、外見に似合わず気さくで人当たりの良い性格は、この家の刀たちにすぐに受け入れられた。
特に短刀の貞宗は新しい兄ができたみたいに喜んで、あいつの後をついて回るほどなついていたし、光忠も随分とかまって、かわいがっていたのが印象に残っている。
子どもが苦手だった俺は、貞宗の興味が他にそれて内心ほっとしていた。

しかし、貞宗の代わりに、今度は光忠がやたら俺に話しかけてくるのは計算違いだった。
最初は興味も湧かなかった。主はたくさんの刀を集めていたから、そのうちの一つにすぎない。そう思っていた。
ただ、向こうはそうは思っていなかったのかもしれない。俺が主の戦に常に付き従っていると他の刀たちから聞いて、興味をもったようだった。
「僕はまだ、戦場に出たことはないんだ。だから、大倶利伽羅君の話はすごく興味深いよ」
そういって、話を聞きたがるので、こちらとしてもあまり無下にはできず、色々と話をした。
戦場での主の戦いぶり。主に振るわれる時の感覚。人を斬った時の感触。戦にいったことのない光忠は、やたらと興味を持って俺の話を聞いていた。
俺はそんな物騒な話ばかり聞かせていたものだった。
思えば、今まで生きてきて、そんな物騒な体験しかしてこなかったのだ。他の話なんてそうできない。
光忠は確かにきれいな刀だった。
戦場に出されていないのは、その美しさ故大切にされているからなのだろう。
うかつに使って、その華やかな刃文がはがれてしまっては大変だろう。
この家に来てからも、主はあいつを戦に連れては行かなかった。戦に出るのは俺の役目だった。
それでいいと思っていた。俺と光忠は、役割が違う、生まれが違う。それだけだ。だからそのことに疑問も持たなかった。
 
光忠との会話の折、時折、愛想のいい人好きのする表情がはがれることに気付いたのはいつのことだったか。
最初は、話の内容に聞き入っているのかと思っていた。しかし、そんな単純なものではないように感じた。
普段とほとんど同じなのに、何かが違っている。あいつの皮を被った他の誰かと話しているような、そんな違和感。
どことなく不穏なそれを感じるのは毎回というわけではなかったが、それだけに、気になるものがあった。
愛想の良さで自分を覆っているあいつの心のうちを、もっと見たいと思うようになったのは、その頃からかもしれない。
時々顔を出す、いつもとは違う表情、それをもっと見たいと思うようになったのだ。
これが、あいつの取り繕わない、素の感情なのかもしれない。その時はそう思っていた。
なにしろ、時々かいま見えるそれは、綺麗に取り澄ました外見の心とは違う魅力があった。
触れてはいけないものに触れるスリル。あいつとの交流では、それを楽しんでいた。
 
 
2.
隠そうとするから見たくなる。俺は、あいつの心の奥底をもっと覗いてみたい、そう思うようになっていた。
その機会は、意外と早く訪れた。最悪な形で。
きっかけはささいなことだ。
確か、俺の手入が終わった後、手入部屋にふらっと光忠が入って来たのだった。
「また戦に出ていたのかい?」
そういって話しかけてくる。いつもの表情。いつもの声音。
たわいない世間話をしていた時、あいつがふいにこういった。
「僕も戦に出てみたいな」
その目は無邪気で、黄色い目は輝いている。
「おまえみたいな刀は、戦には使われないだろう」
俺の言葉に、変に食い下がる。そのあたりで、いつもとは違うと気づくべきだっただろう。
「そうかなあ。たしかに今まではそうだったけれど」
そういう光忠の目は恐ろしく透明で、何の感情も無いように思えて、少し恐ろしさを感じた。
「そもそもおまえみたいにきれいな刀は、戦で使われるために打たれていないんじゃないのか」
何気なくそう返した時、場の空気が変わったのを感じた。
相変わらず透明な目でこちらを見ているが、まとう雰囲気が一気に変わる。
俺は、あいつが戦の話をいつも興味深く聞いていたのを思い出す。
飾り刀であるあいつと実戦刀である自分。立場がそもそも違う。
あいつの言葉の端々から、戦場に憧れているのは感じられた。
そんなやつに、はっきりとものを言い過ぎたのは自覚していた。配慮が足らなかった。

「悪い」
「謝らないでよ。君の言う通りなんだから」
口調は穏やかだが、うつむいて発する声はどことなく冷え冷えとしている。
その時、あいつの触れてはいけない何かに触れてしまった事に気付いた。
あいつの手がかたかたと震えているのが見える。この会話はよくなかった。
しかし、それ以上何も言えない。
あいつの抱いている絶望に向き合う勇気がなかった。できれば、このまま流してしまえればよかった。

気まずい沈黙が続く。
目を合わせないように相手の様子をうかがおうとして、目が合ってはそらす、うつむく、ということを繰り返したあげく、それを破ったのはあいつの方だった。
顔をゆっくりと上げる。
その目からは一切の光が消えていた。つくりもの。人形。モノとしての刀に戻ったような無表情。
「そりゃあ、僕を戦に使おうとは、主も思っていないだろうね。悲しいけれど」
僕だって刀だからね、そう呟くその声は覇気がなく、いつもの、嘘くさいほどの生気にあふれたあいつではない、別の何かが話しているようだった。
「でも、仕方ないさ。きみが、僕の分まで主の役に立ってくれればいい。そう思っていた」
そういって、微笑んだ。
それは同じように唇を釣り上げているのに、人好きのするいつもの優しげな笑みとは違ってしまっていて、違和感を覚える。そうだ、どことなく、歪だ。
「さっきまではね」
静かにそういうあいつの目には、再び光がともっていた。
ただし、いつもとは違う。さっきの絶望とも違う。
あたたかい、人好きのするものではなく、もっと激しい、炎といってもいいものだ。
すべてを灰にする業火。
そのぎらぎらと燃える目をこちらに向けられると、ぞくっと背筋が凍る。
きれいだった。
自らも焼きつくしてしまうようなその目。
その二つの目がこちらを射すくめるように見つめながら近づいてくると、もう動けなかった。
釘付けにされる、その言葉通り、俺は指先一本動かせないままだ。

背中が後ろの壁にぶつかる。
両肩をつかまれて力まかせに押し付けられたのだと気づいた。
背中が、強くつかまれた肩が痛む。存外と力が強い。俺よりも長く生きているからか。

「僕はね、本当はもっと戦場で振るわれたいんだ。それで、もっともっと主の役に立ちたいんだ」
肩をつかんだまま話す声音は、静かだが少しくるっている。調律の合わない楽器のような、そんな不協和音を感じさせた。
「大倶利伽羅君はいいよね。戦場でいつもたくさんの人を斬って。僕は、いつもきみにあこがれていたよ」
いつものあいつではない、別の誰かみたいだ。
あいつの言葉をなぞる、他人。あいつの皮を被った化け物。

「あんたと俺では、立場が違う」
あんたは、大切にされてる刀だからな、俺と違って、そう返すと、肩をさらにきつく掴まれた。なんて力だ。
「僕は飾り物の刀なんてごめんだ。僕は、もっともっと振るわれたい。振るわれて人を斬りたい。刀としての生を全うしたい」
その声はあくまで静かで、だからこそ、不穏さを帯びている。
「だって、そのために作られたんだろう」
そういって、目を細めて笑う。
「僕たち、刀は、そのために」
これが、あいつの本心か。きれいな仮面の下に、こんな狂気が隠れていたのか。
今ならまだ戻れる。
壁に俺をきしむほど押し付けて、指が骨に食い込むかと感じられるくらい、きつく肩を掴んでいる、その手はかすかに震えている。
いま。もし。この手を振りほどいてしまえば。その腕を押し返してしまえば。

しかし、それはできなかった。
この、くるった獣にみとれる自分がいた。
刀であることに固執する付喪神が荒れ狂う様を、見届けたい。
ふとそんな考えが頭をよぎる。それはぞっとするほど魅力的な思いつきだった。
だから、その腕が肩から離れた時も逃げなかったし、代わりにその指が白蛇のように俺の首筋にからんだ時も、抵抗しなかった。
されるがままになっていた。
「君がいなくなれば、僕が君の代わりになれるのかなあ?」
 そういうあいつを、ただ見つめていた。

「僕は、主にもっと振るわれたいんだ。号をもらったけど、それだけじゃ足りない」
俺の首に白い指をまとわりつかせながらあいつは言う、いつもより少しいびつな笑みを浮かべて。
「僕だって実戦向きじゃないわけじゃないんだ」
白い指が力を込める。苦しさに顔が思わず歪む。この細くてきれいな指のどこにこんな力があるのか。
「でも、どうして、君だけが。君ばかりが」
炎と化した目は、今度はその持ち主を燃やす。
嫉妬。悲しみ。刀としての矜持。
それらがごちゃまぜになって燃えているその目。
見ているこっちが苦しくなる。
やめてくれ。俺はあんたが思うような刀じゃない。その嫉妬を向けられるような相手じゃない。
大した刀じゃない。おまえみたいにきれいじゃない。ただ丈夫だから、手になじんでいるから、使われているだけだ。
もし、主が初めて手にした刀が、俺じゃなくておまえだったら、今、使われているのは俺じゃなくておまえだったかもな。
だから、だからそんな目で俺をみないでくれ。
伝えたいのに苦しくて声は出せない。少しずつ頭がぼうっとしてきているのが分かる。このままでは、まずい。
あいつの白い指は、震えながらも、その力を込めたままで、決して緩めようとしない。

「どうして、抵抗しないの?」
不意に問われる。
「君なら、出来るはずだよ。今すぐこの腕を振りほどくこと」
心底不思議だ、という表情でまた問う。
「ねえ、どうして?」
「もう…こ…こんな…こ、とは…やめ…ろ…」
無理やり声を絞り出す。かすれた声にしかならない。
「どうして…」
少し、顔を歪めてさらに問う。俺は答えられない。
「お願いだから、ねえ」
口調が懇願に変わる。
「今すぐ僕の腕を払いのけてよ。拒絶してよ」
もう泣きそうな顔だ。
「こんなに君にひどいことしてるんだよ」
意識がもうろうとしてきた。これ以上は限界だ。
俺は何とか力を振り絞り、両腕であいつの腕をつかむ。

外すのは簡単だった。それを待っていたかのように、腕に力を込めるとあいつの腕は首から離れる。
何だ、簡単なことじゃないか。
そして、そのままあいつを思いっきり突き飛ばした。できる限り遠くに。
その勢いで膝からかくんと力が抜け、俺は畳の上にへたり込む。
一気に肺に空気が入り込んでくる。あまりに急なのでせき込みながら、ぼんやりとした頭に血がめぐってゆくのを感じていた。

一通り咳が収まった後、見上げると、あいつは俺と同じように座り込み、少しほっとしたような、傷ついたような、そんな表情を浮かべて、こちらをうかがっている。
その目の炎はすっかり消えていた
さっきまでの嵐のような激しさが嘘のようだ。
「俺は、おまえが思っているほど立派な刀じゃない」
俺の言葉を待っているように見える光忠にそう告げると、身体がふらつくのを気づかれないようにゆっくりと立ち上がり、あいつの横をすり抜けて部屋を出た。
あいつが何かつぶやくのが聞こえた気がしたが聞こえないふりをした。今はあいつの目の前から消えたかった。

自室に戻って襖を閉める。それだけでほっとした。
恐ろしかった。それが正直な気持ちだ。あいつの心の、一番触れてはいけない部分に触れてしまったのだ。
光忠は美しい刀で、それゆえに大切に扱われている。戦場の代わりに華やかな場に連れて行かれる刀。
折れる恐怖に怯えなくていい刀。俺とは立場が違う。
しかしその心のうちには戦場で刀として振るわれたい、刀本来の役割を果たしたいという願いがあった。
それは今までの長い生の中で膨れ上がってしまったのか、もはや執念に近いものになってしまっている。くるいかけている、といっても言い過ぎではないだろう。
あいつは今まで、あの執念を、地獄のようなものを抑え込んでずっと生きてきたのか。
愛想のいい外面で自分を覆い尽くして、それが絶対に溢れださないように、気を張って。
それを俺は引きずり出してしまった。意図してではないが、結果として。
さっきの行動は、普段の光忠からは考えられないものだ。
付喪神の中には気性が荒いやつもいる。諍いが起こることだってある。しかし、あいつがあんなに荒れ狂うなんて信じられないことだ。

今頃、あいつはどうしているのだろうか。あの場に置いてきてしまったのはよくなかったのではないか。何故かそう思い始めている自分がいた。
さっきはただただ混乱していて、とにかくその場を離れたかった。
あの暴走に巻き込まれかけて、怒りと恐怖に支配されて、とにかくあいつから離れたい、それだけしか頭になかった。
しかし、あいつは、はたして本気で俺を殺そうとしたのだろうか。
「今すぐ僕の腕を払いのけてよ。拒絶してよ」
あの時の、光忠の言葉がよみがえる。
あいつは、何度も俺に自分を止めてくれ、そう懇願していたではないか。
なぜ抵抗しないのか問うていたではないか。
思えば、首にかけた腕は随分簡単に外れた。待ちかねていたかのように。
本気だったら、あんなに簡単に首から外すことはできないだろう。何しろ、力はある相手だ。
あいつは、その衝動を止めてくれることを望んでいたのではないか。
自分では止めることのできない狂気の暴走から救ってほしかったのではないのだろうか。

ひとつ分かったことがある。
俺の話を聞く時、時々見えた何かは、あれだったのだ。あのくるった獣。それが時として顔を出しそうになっていたのだ。
あいつはそれを必死で押さえつけて、耐えていたのだろう。戦の話なんて、どれもこれもあれを暴走させる引き金にしかならない。
あいつは、光忠は、このままではいずれ壊れてしまいそうに見える。いや、すでに壊れかけているのかもしれない。
そんな脆さが感じられた。いつからあれと共存するようになったのか分からないが、よく数百年もの間もったものだ。それくらい、今のあいつは危うい。
やはり、置いてきてはいけなかったのだ。あんなに危なっかしい状態のやつを。
気になりだすと止まらなくて、俺は自室を飛び出し、さっきまでいた手入部屋まで走る。
「光忠!」
襖を勢いよく開ける。
しかしそこはもぬけの殻だった。
誰もいない。
あいつはどこへ行ったのか。自室へ戻ったのだろうか。
居場所を探そうと思いかけたところで、ここまで光忠のことを気にしてしまう自分に、違和感を覚える。
同じ家にある、ただの刀ではないか。
しかし、同じ刀として、あいつの在り方は危険に思えるし、今回のことで万が一やけになって何か起こしたりしたら厄介だ。
気になるのはだからだ。それだけだ。
そう自分に言い聞かせる。そして、姿を探すのはやめて、自室に戻ることにした。
少しあいつにかまい過ぎのように思えたからだ。
今までこれほど他の存在を気にかけることがなかった。だから、そんな自分が少し怖かった。
この感情を定義づけてはいけない。すくなくとも今は。
 
 
3.
それからしばらく、光忠はどことなくこちらを避けていたし、俺も光忠を避けていた。
あいつは一見、普段と変わりなく見えた。他の刀や俺に対して気さくで穏やかな態度をくずさない。
しかし、できるだけ俺と二人きりにならないように警戒しているのが見て取れる。
おれも同じように、表面的には何事もなかったようなそぶりをしていた。

しかし、偶然とは恐ろしい。いや、むしろ避けているからこそかもしれない。
俺と光忠はばったりと会うことになる。
ちょうど、あれから一週間ほど過ぎた日のことだ。
夕方。俺は暇つぶしによく書庫の本を読んで過ごしていたから、その日も勝手に持ち出した本を返すために書庫に向かった。
大きい音を出さないよう、ゆっくりと書庫の扉を開ける。
本を傷めないよう、明り取り用の小窓が一つあるのみで、薄暗い庫内。その隅、文机の前に光忠はいた。こちらに背を向けて、何か書いている。
だれかいるなんて思わなかったし、居たのがあいつだったから驚いてしまって、俺は思わず持っていた本を落としてしまった。
その音にこちらを振り向く光忠。小窓から差す夕日が白い顔を照らす。いつもより青ざめたその顔。その表情が驚いたものに変わった。
しばらく、視線を外せずに、お互いの顔を見つめ合う。驚きの表情をおんなじように浮かべている。鏡みたいに。
「驚かせて、悪かったな」
本を拾い上げて部屋から出ようとする俺を見て、あいつはあわてて立ち上がり、叫んだ。
「待って!」

「あ、あの、この間のことだけど」
ためらいがちに光忠が声をかける。
「許してもらおうなんてとても、言えないってわかってるよ」
さっきから声が震えている。
「ただ、謝りたくて」
そういって、一歩こちらに踏み出す。
先日のことを思い出して、体が無意識に後ろへ下がろうとする。
自分でもあれはトラウマになっているようだ。あいつから逃げ出したい。それを必死で押さえつけながら、その言葉を待つ。
「君に、あんなことしてしまったこと。本当に後悔してるんだ。ただ、あの時は感情が抑えきれなくて」
そして、真剣なまなざしで言葉を続ける。
「本当に、申し訳ないことをしてしまった」

正直にいって、なんと返したらいいか、迷う。そもそもこの間のことだって、自分の中で決着がついていないのだ。
「簡単に許せるもんじゃないな」
「…そりゃそうだよね」
俺の言葉にそう返すと、あいつは悲しみと諦めをたたえた目で、こちらを見つめる。
「ただ、あんたの本心をあの時、初めて知ることができた。それは良かったと思っている」
「あれは…」
「あんたがあんなに刀であることに拘るたちだとは思っていなかった」
あいつが何も言わずにいるので、俺は、互いを避け続けてからずっと考えていたことを話すことにした。
「俺は、生まれてからずっと戦場暮らしだった。だから、飾られてる刀の気持ちを考えたことなんてなかった。あんたが聞きたがるから話してしまったが、俺の話で、あんたを傷つけてしまったことも随分あるだろうな。それは悪かったと思ってる」
光忠は何も言わない。困ったような表情を浮かべて、ただこっちを見つめている。
「あんたが本心をさらけ出した時は死ぬかと思った。普段は随分体裁を繕ってるじゃないか。でも、そんな姿より、あの時のあんたは、何だか輝いていた」
あいつは恥ずかしそうな顔をしてうつむく。
「触れるものすべてを傷つけそうで、恐ろしいのにきれいで、殺されそうになってるのに俺はあんたにみとれていた。あんたは戦に使われないことを気にして、ちょっとおかしくなってるかもしれない。でも、あの時の姿をみて、思った。あんたは刀そのものだ」
「そんなこと言われても、困るよ…何て言ったらいいか分からないし」
うつむいた顔をあげたあいつは、複雑な表情をしていた。
「僕は、たしかに少しおかしいと自覚はしてる。刀としての在り方にこだわりすぎてるかもしれない。君みたいな刀に出会うと、あこがれと同時に嫉妬もしてしまう。本当は醜いんだ、僕って」
つぶやくように小さな声で告白する顔を夕日が照らし、陰影をつくる。それはちょうど、あいつの抱える影みたいに見えた。
「でも、なぜだろう。あんな風に本当の気持ちをさらけ出せた相手は、今まで君だけなんだ。不思議だよね。君より長く生きてきて、同じような相手にはたくさん出会ってきたのに」
どこか遠い目で、こちらを見てるような見ていないような、そんな表情だ。
「あんなことをしてしまったから、きっと君は、僕に幻滅してしまっているよね。僕も、あんなことをして、醜い本心をさらけ出す相手に君を選んでしまったこと、後悔してる。悪かったと思ってる」
そう言葉を続けるあいつの目から、光がどんどん失われていく。金色の目は、今では曇りガラスのように濁っている。深い絶望にとらわれた目。
「君と接していると、もっと僕の醜い面を見せてしまうかもしれない。もっとひどい目にあわせてしまうかもしれない。僕はそれは怖い。君を傷つけたくないんだ」
いったん言葉を切ってこちらの目を覗きこむ。表情をうかがうように。
そして、こう続けた。
「だから、僕たち、あんまり一緒にいない方がいいと思うんだ」
真っ暗な目。
「君と話ができて、とても楽しかったのは本当だし、憧れているのも本当なんだ」
光りの一切ないその目で、ゆっくりと別れの言葉を告げる。絞り出すように。
「今まで、ありがとう」
目だけが黒い穴のようになった顔で無理やり微笑むその姿は痛々しくて、見ていられなかった。
俺が近づいていくと、光忠は、体をこわばらせて警戒する。今まで築いてきた信頼関係が壊れてしまったのを、改めて知ることを恐れているのかもしれない。
その目には、恐れと警戒の表情が浮かんでいた。

「何で…こんな…」
驚愕といっていい表情を浮かべて、あいつが俺を押しのけようとする。
そりゃあそうだ。自分が危害を加えた相手に、いきなり抱きしめられたら、真意を測りかねるだろう。自分でも信じられないことをしていると自覚している。
ただ、その姿を放っておくことなどできなかった。誰かが支えてやらなければ、今にも崩れ落ちそうな、痛々しい姿。
今、どうにかしてやらなければ。そうしなければ。その気持ちが先走って、体が自然に動いた。先日のことを許す、許さないとは全く別のことだ。
「君、何考えてるの…」
あいつが弱々しくつぶやく。
「どうして、どうしてこんなことするの?離してよ」
声はさらに弱まった。抵抗はやんだが、体がこわばって震えている。
俺はあいつの問いかけには答えず、そっと背中を撫でてやった。あいつが少しでも落ち着けるように。子どもにするみたいに、撫で続けた。
「やめてよ」
言葉に反して、少しずつ、そのこわばりが緩んでいく。
「どうして」
か細い声で問うた、その先は言葉にならなかった。今は声を殺して、泣いている。
こわばっていた体は、いつしかくたんと力が抜けて、俺にもたれかかっていた。
俺は、あいつが落ち着くまで、ずっとそのままだった。そうすることしかできなかった。
あいつの重みを、感じていた。

「あんたを見てると、不安になる。そのうち、壊れるんじゃないかって」
俺の言葉に、腕の中の光忠が顔をあげる。涙でぐしゃぐしゃの、ひどい顔だ。
「自分を押し殺し過ぎだ」
俺の言葉を、あいつは黙って聞いている。
「自分を偽り続けるのは止めろ。さもないと、潰れるぞ」
「気遣ってくれるのは嬉しいけど、でも…」
光忠は何と答えていいかとまどっているようだ。
「あんた、こないだ俺の前であんなに本心をさらけだしたじゃないか。いまさら何を恥ずかしかってるんだ?」
からかうような俺の言葉にあいつは耳を赤くしながら、照れくさそうな顔をする。
その姿が少し可愛いらしく思えて、つい、本当なら言わなくていいはずの言葉が口から滑り落ちてしまった。
「俺の前だけでいいから、本心をみせてくれ」
本当の気持ちだから、伝わって困るわけでもないのだが、まだ、言わないでおこうと思っていたのに。
俺の言葉に彼は少し困ったような表情を浮かべて、ただこういっただけだ。
「君には、格好悪いとこ見せてばかりだね」
そういって微笑むその顔は、いつもより幼くて、自然な笑みだった。
いつだったか、同じ笑顔をみたことがある。
庭に蛍がいた時だから、初夏だったのだろうか。
蛍の光がぼんやりと光っていて、その金色の光はあいつの目の色とおんなじで、それを見ながら、前の家にも蛍はいたけど、色が違ったな、なんていいながら笑っていた。
それは、いつものとりすましたような笑顔とは違った。随分と無邪気な表情。そう、子どもみたいな。こんな顔をすることもあるんだな、と当時は思った。
その時と同じ顔で微笑むあいつを見ていると、何だかほっとした。
なんだ、そんな顔もできるんじゃないか。

いつの間にか日は暮れて、辺りを夕闇が包み込んでいる。
「あの、そろそろ離してくれないかな。少し、恥ずかしいし」
「ああ、悪い」
もう、すっかり落ち着いているあいつと書庫の前で別れた時、名残惜しさを感じていることに気付く。
もっとあいつの体を、その存在を感じていたかった。まだ放したくはなかった。
さっき別れたばかりだというのに、あの質量が腕の中にないことに胸が少し苦しくなる。
ああ、今ではすっかり自覚している。あの日、光忠を探しまわった時の気持ちは、何であるかについて。
俺はあいつのことをもっと知りたい。外面をはぎ取った、そのすべてを暴いてしまいたい。たとえそのほとんどが先日垣間見た、地獄のようなものであって、さっき見せてくれたような無垢さなんてほんの一握りだったとしても、それでいい。その地獄をもっと見せてほしい。地獄を含めたあいつの全てを自分のものにしてしまいたい。それで自滅してしまうならそれまでだ。
それくらい、心を奪われていたのだ。あの一振りの刀に。