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「十一月」
 
 
 雨音で目を覚ました。
 しとしとと、ただ静かに降る雨。
 同時に肌寒さを覚えて、鶴丸は肌蹴ていた布団を肩口まで引っ張り上げる。
 秋雨は冷たい。11月ともなればなおさらだ。
 晩秋にあまりいい思い出はなかった。それほど昔の事を覚えているわけでもなかったが、思い返すのは寒々しい記憶ばかりだ。
 過去について考えるのは早々に止め、ごろんと寝返りを打つ。
 目に入ってきたのは水色の髪。それがさらさらと広がって、持ち主の顔を半ば覆うように隠している。その前髪の隙間から、穏やかな表情で目を閉じているのが見えた。
 今はすうすうと安らかな寝息を立てている。
 眠っているのは一期一振。無心にただ眠る表情はまるでは子どものよう。昨夜、激しく自分を求めてきた情熱が嘘のように、今は無垢な顔だった。
 鶴丸は彼の頬をそっとなでてみる。起こさないようにあくまでそっと。
その頬は柔らかいが、確かな熱を自分に返してきた。それが無性に嬉しくて、自然と頬が緩む。

 俺もすっかり絆されてしまってるな。鶴丸は改めてそれを自覚してしまう。
 これまでの長い年月でこういった関係になった相手がいなかったわけではない。
 むしろ、持ち主が次々と変わり、そのたびに様々な付喪神たちに出会ってきた。
 中には鶴丸を欲する者達もいた。鶴丸も一時の逢瀬を楽しみはした。しかし、それだけだった。言葉通りその場限りのもの。退屈を紛らわす気晴らし。
 今までにこれほど、相手に対して深い思いを抱いたことはなかった。
 ようはすっかり惚れてしまっていたわけだ。
 前髪が乱れているのを直してやろうとその額にふれようとすると、彼が目をうっすらとあけるのが見えた。
 鶴丸と同じようで色味の違う、金色がかった目。今はぼんやりと薄いもやがかかったようで、いつもの強い光はない。
「起きたのか」
 そうささやくと、意識が覚醒してきたのか、その目はふらふらを視線をさまよわせた後、鶴丸に焦点を定めた。
「…おはようございます」
 そう答える声はまだ少し眠そうだった。
「まだ起きるには早い時間だぞ」
 前髪を整えてやりながらそう伝えると、彼はその腕を伸ばして、鶴丸の体を抱き寄せる。
 温かい肌。自分より少し厚みがあり、少し体温の高いそれに触れるのは心地良いものだった。特に今のように肌寒い時分とあっては。
 鶴丸も一期の背中に腕を回す。
 抱きしめ合って互いの存在を確かめ合い、その熱を感じる。
 思い人が確かに今ここにいることを。
 特に会話もなく行うそれは二人にとって幸せな時間であった。
「そろそろ、部屋に戻りませんと」
 しばらくして一期が言う。
「もう、行ってしまうのか」
 もう少しそばにいてほしい。もう少しだけでいいから。鶴丸の切実な願いだった。
 特にこの肌寒い時期、一期のぬくもりは温かさ以上のものを自分にもたらしてくれた。
 それは、人の体を得た故からかもしれない
 その熱は体だけでなく心まで満たしてくれる。
 11月がろくでもない月であること、それを少しの間でも忘れさせてくれる温かさ。
 もう少し、それに触れていたかった。
「あまり遅くなると、弟たちが気にします」
 そうだった。一期は弟たちと同じ部屋で寝起きしていたのだ。
 二人の関係が彼らにばれることを一期は気にしている。
 鶴丸は、隠していてもいずれ知られてしまうのだから、どうせならもっと堂々とすればいいと思っていた。
 だが、一期には長兄として弟たちの模範とならねばという思いがあるようだった。
 彼には彼の考えがあるのだ。
 そのせいか、鶴丸の部屋に来ても、夜が明ける前に戻ることを常としていた。
 それでいい。常日頃はそう思うようにしている。
 でも、今朝は、今朝だけは、何故かそうしてほしくなかった。11月だからかもしれない。今朝だけは、少し自分のわがままを聞いてほしい。
 そう思って、こう言ってみたのだ。
「しかし君、今は雨が降ってるぜ。濡れてしまうぞ」
 鶴丸の部屋と一期の部屋はそもそも棟が違っていて、建物同士を屋根のない、長い渡り廊下が繋いでいる。
 不便だから屋根をつけろと審神者に申し立てる者は多かったが、予算が下りない、とのことで、今日のような天気の悪い日には雨に濡れてしまい、不便なままであった。
 深夜に一期が部屋を訪れた際には雨は降っていなかったから、彼は傘を持たずに来たことになる。今戻れば、雨に打たれてしまうのは必然だ。
 そして、その姿を弟たちに見られれば、朝帰りだってばれてしまうだろう。
 言外にそのことを示しながら、そう言う鶴丸に、一期は少し困ったような顔をする。
 たとえ雨に濡れていたとはいえ、いくらでも言い訳など立つことは、鶴丸自身分かっている。審神者に呼ばれていた、とか、遅くまで明日の出陣について話し合っていた、など。
 自分の言葉など、蹴ってしまうのは容易いのだ。それをせず、困った顔をする思い人に鶴丸は少し満たされるような気分になった。彼とて、決してこの場から早く立ち去りたいわけではないのだ。
 彼と自分は同じだ。離れたくない、という、その気持ちを共有している。
「しかし」
 そういう一期を引き留めるように、背中を抱く腕に力を込め、鶴丸はその胸に顔をうずめた。心なしか、彼の心臓の音が早まったのに満足を覚える。
「もう少し、一緒にいてくれたっていいんじゃないか」
 鶴丸が言う。その口調は甘えるような響きで一期の耳に伝わった。そう、耳に蜂蜜でも流し込んだように。
 ずっと雨の音が響いている。さきほどより勢いを増したような雨音。外に出たらずぶ濡れになりそうな、ざあざあ降りだ。そして、一期の心臓の音。力強い、規則正しい心音。
 それだけが聞こえる。それ以外は聞こえない。
 ざあざあ。どくどく。ざあざあ。どくどく。
 それだけ。二人の熱以外、それだけしかない世界。それだけだ。
 しばらく、ずっとそうしていた。ずうっと。
 熱さと鼓動。雨の音。
 それだけというのは心地よいものだ。
 何しろそれしかないシンプルな世界なのだから。
 どれくらい時間がたったか分からない。
 やがて、一期が鶴丸の背中をそっとなでた。なだめるかのように、そっと。
「仕方ありませんな」
 彼の言葉に驚くように鶴丸が顔を上げると、一期の顔がすぐ近くで迫っていた。
 どちらが先とも言わず唇をぶつけ合う。互いの舌がもつれあい、からみあう。
 深い口付けを交わした後、一期は諦めたかのように言った。
「この雨がもう少し弱まるまで、一緒にいましょう」
 一期の言葉に、鶴丸の顔がぱっと輝く。
「本当か」

 ぎゅっとしがみ付いてくる鶴丸の、少し体温の低い腕を、一期は心地よく感じていた。
 彼は時々、このように甘えることがあった。普段はひょうひょうとしている彼が、時折、少し違った一面を見せる。計算なのかそうでないのかは分からない。
 しかし、その意外な行動はどうしても愛おしく感じてしまう。どうしようもないのだ。
 ああ、この人にはかなわないな、一期はそう思いながら、自分よりずっと薄い背中を抱きしめる腕に力を込めた。
 雨がずっと止まなければいい、そう思いながら。