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「水色と白」
 
 
その淡い蜂蜜のような目が大きく見開かれ、驚きの表情を浮かべている。
一期一振はしてやったりという気持ちになった。
普段から驚きを求めている彼。
その彼がこれ以上ないほど驚愕の表情を浮かべているのを見るのは、愉快なものだ。
「どういうつもりだ」
こちらの意図を測りかねるという口調で問うその声はかすれていて、いつもの余裕を失っている。
その口調はまるで一期の気持ちを煽るかのようだ。
「どうって、見てのとおりですよ」
思いのほか、自分の口調が冷静であることに一期は自分でも驚いていた。
もっと、怒りとか懇願とか、そういった感情があってしかるべきであるのに、それはまるで文書でも読み上げるように静かだった。
それを聞いて鶴丸が身じろぎする。
しかし、逃れようはずもないのだ。壁際に追い詰められ、その細い両腕は一期が押さえつけている。
もとより腕力では自分が勝っているのだ。無駄な抵抗だった。それは彼も分かっているのだろう。
その目に浮かぶ表情が、驚きから諦めへと変化していく。

「それで、どうしたいんだ」
鶴丸が口角を上げて微笑む。
薄い唇が形作るそれは魅惑的で、できることならいますぐ奪ってしまいたいほどだ。
その気持ちを今は押し殺して、一期は口を開いた。
「ずっと前から、お慕いしておりました」
その言葉を伝えた瞬間、自分の顔が赤くなるのが分かった。
すでに好いた相手に対してこのようなことをしているというのに。
取り返しのつかなくなるようなことをしているというのに。
なぜか変なところで純情ぶった態度になってしまう。
本当の気持ちを伝えるというのは、それほど重いことなのだ。それを思い知らされる。
自分のやっていることと態度がおかしくて、笑い出しそうになってしまった。
「君、酔ってるだろ」
鶴丸の冷静な指摘。
確かに、今日は本丸全体の飲み会があった。
一期は確かに飲みすぎたかもしれない。
らしくないふるまいだった。
酒席では自分の飲む量をいつも加減して、決してみっともない真似はしない。
それが一期の信条だった。

でも、今日は勝手が違った。
自分の右隣。白い髪がふわりとゆれる。
こちらに向けた顔の、黄色い目は優しく細められている。
あくまで柔らかい笑顔で、彼は話しかけてきたのだった。
「やあ、君とゆっくり話すのは久しくなかったことだな」
隣に座ったのが鶴丸だった。

鶴丸とは同じ家に長い間共にいたことがある。
刀としての用をなさず、美術品として大切に蔵に仕舞われているだけの日々は、一期にとって退屈だった。
その日常の中、時々姿を見せる付喪神がいた。
白い髪に色素の薄い黄色い目。華奢で美しいその容姿は今にも消えそうに儚い。
まるで女人のようだ。そう思った。
最初は遠くから姿を見るだけで良かった。
その美しい姿を見るだけで、それだけで満たされた。
自分にとっての光だったのだ。
話すことはなかった。
光に近付くなんて恐れ多い。ましてや話しかけることなど。
ただ、見ているだけで良かったのだ。

そうやって見つめ続けていると、時々、彼と目が合うことがある。
そんな時、彼はいつも、ふわりとした優しい笑みを見せてくれた。
こちらも微笑みを返す。
それだけの交流だった。
でも、一期にとってその瞬間は何よりも代えがたい宝物のようなものだった。
その時は、それだけで満足していたのだ。


その、彼が本丸に来たのは一期よりも大分後の事だった。
当時と変わらない、その姿。
薄黄色の目。白く柔らかそうな肌。
同じ色のふわりとした髪。
うっすらと微笑む淡い色の唇は、精神のするどさを感じさせるように薄い。
そして、全身が淡く発光しているかのような白さ。
光だ。あの時見た、一期の救いであった光。

最初は、幻覚でも見ているのかと思ったものだ。
「俺が来て驚いたか?」
そういう彼の言葉に、心中を言い当てられたかのようで、一期は少し口籠りながら、ご無沙汰しております、と挨拶を返したのだった。

最初は顔見知り、ということで世話係には一期がついた。
「君が先に来ているなんて驚いたな」
そういう彼は見た目に反して剛胆な性格だった。
初めて戦闘に出た時、まだ錬度が低いのに強敵に突っかかっていこうとするのを必死で止めたのは一期だ。

しばらく同じ隊で共に戦った。
「血にまみれた方が鶴らしいだろう」
全身を返り血で赤く染めて笑う彼は、蔵の中での穢れなき姿よりずっと生き生きとしていた。
初めて見た時の笑顔が聖母としたら、戦闘での笑顔は死神。
敵を一思いに切り伏せる時の表情。狂気すれすれのその笑みに、思わず目を奪われてしまう。
一期も戦には血がたぎる性分であったが、この人は、自分よりずっと振り切れているのだ、ずっとこうして生きてきたのだ。
彼は戦場ではいつもそう感じさせる表情を浮かべていた。

「どうした?色男」
鶴丸の姿に自分が見とれていることに気付いたのは、不審に思った彼に問いかけられた後のこと。
「いえ、あなたの戦いぶりがあまりに勇ましかったものですから」
ごまかしたつもりだったが、うまくいったかどうかは分からない。
その時だった。見ているだけでは満たされないという自分の気持ちに気付いたのは。
儚さと激情を内包した存在。それに触れたい。自分のものにしてしまいたい。
鶴丸を見るたび、そんな気持ちに支配されるようになってしまった。
相手は、何せなじみの同僚だ、親しく接してくる。体が触れそうになるほど彼が近寄ってくるたび、その劣情を抑えるのに苦労をした。
元の主の影響を受けたせいか色恋沙汰には慣れていたが、これほどの熱い思いを抱いたのは久方ぶりのことだ。
そもそも自分は一度焼け落ちている。その辺りの記憶は霧がかかったようにあいまいなままだった。
そんなものだから、これほど激しい感情を抱いたのは記憶の限り一期にとって初めての事と言っていい。

しかし、鶴丸の錬度が上がったところで二人は別の隊に配属されることとなった。
一期は一期で弟たちの世話があり、鶴丸は鶴丸で伊達家にいた時の刀達と過ごすことが多く、顔を合わせる機会はそれから減っていった。時々、廊下で出会った時に挨拶を交わす程度。
だから、今回の飲み会は、久しぶりの再会だったのだ。

「酔っていることは確かです。でもこれは本心です」
その瞳をまっすぐ見て告げる。淡い瞳はしかし、その色に反してなかなか折れてはくれなかった。
「だったらこんなこと止めてくれ。酔いつぶれた君を部屋まで運んでやった恩を忘れたのか?」
確かに、酔ってふらふらになった一期を、ここまで運んでくれたのは鶴丸だった。
彼の華奢な体躯から、それをするのに骨が折れたのはうかがえる。
気づいたら今の事態になっていた、そのきっかけはよく覚えていなかった。
何か、一言二言、言葉を交わしたのは覚えている。
そして、何か鶴丸が戯言を言い、一期が過剰反応した。
そのような記憶がぼんやりと頭に浮かんだ。

「酔いつぶれたの、誰のせいだと思っているんですか?」
こんなことを言うのは言いがかりだと分かっている。分かっているが、口から出てしまう。
「俺のせいだというのか?」
鶴丸の視線が険しくなった。その淡い瞳が刺すように一期を見つめる。
その目はあくまで透き通っている。そんな目で自分を見ないでほしい。
そんな視線を向けられたら、もうどうにもできない。
自分の気持ちを吐き出すしかないではないか。
「私がどれだけあなたに焦がれてきたか。あなたには分からないでしょうな。300年の間、ずっとあなただけを見てきました」
鶴丸が困惑の表情を浮かべる。ああ、本当に分からないのだ、この人には。
今だってその視線の向け方、わずかにしかめられた眉、淡い瞳、首をそむけるように動かしたために揺れる白い髪。
それら全てが一期にとっては目の毒だった。魅力的に過ぎた。

彼の唇が、微かに動く。何か言葉を発しようとしているのだ。
それを聞くのは怖かった。これほどひどいことをしているのだ。聞きたくかった。
それなら無理やりその唇を塞いでしまおう。そうだ、そうすれば聞かなくて済む。
そう思って顔を近づけた瞬間。
「君が俺を見ていることは知っていたよ」
唇からもれる言葉に一期は耳を疑った。
「そう、まだ人間の肉体を得る前からね」
そういう鶴丸は、さきほどの困惑の表情を少し和らげていた。
その、淡い瞳の輝き。温かさと冷たさを内包するその目。
名状しがたい、あいまいな表情。それは恐ろしく魅惑的だった。
「知っていたんですか?」
「驚いたか?」
なぜこの人は。
なぜこれほど人を引き付ける表情ができるのだろう。
そう感じるほど、鶴丸のいたずらっ子のような表情は、一期にとって魅惑的に過ぎた。
「…はい」
この時の一期の表情はさぞ呆けたものだったに違いない。
鶴丸は面白がって、君、さっきと全然顔つきが違うぜ、といって笑い出した。
張りつめた空気が緩む。
「そりゃあ、あんな視線を向けられ続けていたら、どんな朴念仁だって気づくさ」
「あの、それでは、あなたは知っていながらずっと見ないふりをしていたのですか?」
一期の恨み言のような言葉を鶴丸は切って捨てる。
「見ないふり?違うな。君の気持ちをどうするのかは君次第じゃないのか?」
それに、と鶴丸はじっとこちらを見ながら続ける。それはさっきのようなふざけた口調とは違った。
「君がそこまで本気で俺に懸想しているとはさっき初めて知ったものでね」
そして、少し照れたような顔でこういったのだ。
「そこまで思われていると知ってしまったら、もう戻れないな」
最初は言っている意味が分からなかった。
「あの、それは一体?」
「君の気持ちに応えたいってことさ」
「それは、私の思いを受け入れて下さる。そう取ってよろしいのですか?」
鶴丸のあいまいな表現に念押しするような自分を情けないと思いつつ、一期はそう確認してしまう。それくらい、信じられないことだったからだ。
「何度も言わせるなよ。俺だって君の事は以前から憎からず思ってるんだぜ」
「え?」
「そんな相手にそんな風に迫られたら、特に君みたいな色男にそう言われたら、そりゃあ靡いてしまうさ」
少し伏し目がちの表情で鶴丸が言う。小声で、恥ずかしそうな表情で。
そのらしくない態度が愛おしくてたまらなくなり、一期は衝動に任せて思わず口付けてしまう。
断りもせずにこのようなことをして拒否されるのではないかと思ったが、その薄い唇は抵抗なく自分のそれを受け入れてくれた。
思った通り柔らかく、自分より少し体温が低い。それが心地よかった。
「それより、そろそろこの腕を離してくれないか?こういうプレイがお好みなら別だが」
唇を離した後、鶴丸がそういうまで一期はそのことをすっかり忘れていた。
「す、すみません」
慌てて押さえつけていた腕を離す。
白い腕には赤いあざのような跡がくっきりと残っている。悪いことをしてしまった。今更後悔しても遅いが。
「それより、続きはあっちですることにしないか?」
しびれた腕をぶんぶんと振り回しながら、鶴丸が指を指す先にあるのは一期の布団。
酔いが醒めてきた今となっては、当初の勢いはどこへやら。今度は一期が翻弄される番だった。
「いけません、まだ私たちは思いを伝えあっただけではないですか」
一期は、本命の相手に対しては堅い性分である。思わず反論すると鶴丸は驚いたような顔をした。
「最初からそうするつもりじゃなかったのか?」
少しいたずらっぽい表情を作ってそういう。ああ、この人は自分をからかっているのだ。
「いえ、あれは酒の勢いでして…そういうことはもう少し関係を深めてからではないと」
一期のうろたえ振りに気をよくしたのか、鶴丸は人の悪そうな笑い顔でこう続ける。
「でも、君はさっき300年待ったと言ってたじゃないか。これ以上待たせるのもよくないのではないか?」
一期はこういうしかなった。
「もっとご自分を大切になさってください!」
二人で過ごす最初の夜はこのように始まったのだった。